不思議日記

不思議な事を考える。

ゲッセマネ

ゲッセマネ
Wikipediaより抜粋
ゲッセマネ(Gethsemane、希: Γεθσημανι、ヘブライ語: גת שמנים Gat-Šmânim、アラム語: גת שמנא Gaṯ-Šmānê)はエルサレムのオリーブ山の北西麓にあった地名で、新約聖書福音書で知られる。ゲツセマネとも表記し、オリーブの木の植えられた庭園風の場所だったためゲッセマネの園(その)とも呼ばれている。
概要
ゲッセマネとは、アラム語で「オリーブの油搾り」、または「オリーブの酒舟」の意味と言われる。福音書ではイエスと弟子たちが最後の晩餐のあとに祈りを捧げ、またイエスイスカリオテのユダに裏切られ捕えられた場所とされ、正教会では、生神女マリヤ(聖母マリア)が埋葬された場所とされる。
ここには古くから教会があったが、サーサーン朝ペルシャによって破壊され、後に十字軍によって建てられたものも破壊された。現在はカトリックの万国民の教会(英語版)があり、隣接してオリーブ山中腹にはロシア正教会マグダラのマリア教会が建てられている。

聖書に出てくる言葉で、実際の地名なので、歴史を感じる。

 

 

ミネルウァ

ミネルウァ

Wikipediaより抜粋

ミネルウァラテン語: Minerva)は、音楽・詩・医学・知恵・商業・製織・工芸・魔術を司るローマ神話の女神。

なお、項目名の表記は古典ラテン語などの音写に基づくが、俗ラテン語などに基づくミネルヴァという読みでも知られる。英語読みはミナーヴァ。

芸術作品などでは、彼女の聖なる動物であり知恵の象徴でもあるフクロウと共に描かれることが多い。神話上では、フルートの発明者とされる。ギリシア神話アテーナーと同一視され、戦争の女神ともなっている。

ローマでの信仰
ミネルウァは、ユーピテル、ユーノーと共にローマのカピトリーノ三柱神とされた。

ミネルウァには女神としての側面がいくつかあり、"Minerva Medica"(ミネルウァ・メディカ)とされた場合、彼女は医師と医療を司る女神であった。"Minerva Achaea"(ミネルウァ・アカイア)とされた場合、彼女の聖堂(ディオメーデースのものとされる奉納品と武器が保存されている)があるプッリャ州ルチェーラで信奉された存在である。

『祭暦』の三巻においてオウィディウスは彼女を、"goddess of a thousand works."(千の仕事の女神)と呼んだ。ミネルウァはイタリア全土で信奉されていたが、唯一ローマにおいてはアテーナーの好戦的性格が共有され、戦いを司るようになった。また、ミネルウァ信仰はブリタンニアにも持ち込まれ、知恵を司る土着の女神スリス(英語版)と同一化されるなどした。

ローマ人は3月19日から23日の彼女の祭典の内、(中性の複数形で)"Quinquatria"と呼ばれる19日を祝い、職人の祝日とした。また、その縮小版である" the Minusculae Quinquatria"は、6月13日に宗教上大きな役割を果たすアウロス奏者によって行われた。紀元前207年、アウェンティーヌスにある彼女の寺院への奉納品を作るため、詩人と役者のギルドが作られた(ルキウス・リウィウス・アンドロニクスも参加していた)。

ローマ神話の神は、いろいろな種類があり、現代でも様々な象徴として使われている。
聞いたことはあったが、調べると深い意味が見えてくる。

カバラ

カバラ

Wikipediaより引用

 

カバラ(קַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala)、カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想。ユダヤのラビたちによる、キリスト教でいうところの(『旧約聖書』の伝統的、神秘的解釈による)神智学であり、中世後期、ルネサンスキリスト教神学者に強い影響をおよぼした。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。

 

カバラヘブライ語の動詞キッベール「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味する。カバラが登場する以前のゲオーニーム時代には、単に口伝律法を指す言葉として用いられた。したがって、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられることになる。

 

カバラユダヤ教の伝統に忠実な側面を持とうとしたという点において、他の宗教の神秘主義とは異なる。本来のカバラは、ユダヤ教の律法を遵守すること、あるいは神から律法の真意を学ぶことを目的とした。したがって、正統的なユダヤ教との親和性を持っていた時期もあったため、必ずしも秘教的な神秘思想とは言えない。しかし、キリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段として用いられることになる。

 

小史

伝説では、アブラハムがメルキゼデクから伝授された天界の秘密だとも、モーセが律法(トーラー)(なお、トーラーは律法以外の要素も含む)に記し切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだともいう。しかし、3世紀から6世紀頃に始まり、16世紀頃にほぼ現在の体系が完成したとされる。

 

分類

カバラは、ユダヤカバラと非ユダヤカバラに大別され、非ユダヤカバラはクリスチャンカバラとヘルメティックカバラに分かれる。ユダヤカバラが正統かつ本来のカバラである。カバラユダヤ教密教的教義であり、ユダヤ教徒による旧約聖書の秘儀的解釈に用いられている(ユダヤ教においてはキリスト教旧約聖書に当たる部分は狭義のトーラーである「書かれたトーラー(タナハと呼ばれる)」として聖伝のあくまで一部であり、通常口伝のトーラーと合わせて聖伝であるトーラーとされる)。仏教における顕教密教の関係に近く、ユダヤ教顕教カバラ密教である(ユダヤ教においてはパルデスと呼ばれる4階層のトーラー解釈があり、これら全てユダヤ教のうちであるが、神秘主義的解釈はこのなかでも最も深いソッドと呼ばれるレベルの解釈とされる)。クリスチャンカバラは文字通りキリスト教徒の観点から解釈されたカバラであり、キリスト教神秘主義との関連性もある。ヘルメティックカバラは魔術カバラとも称されており、中世以降のオカルティストや神秘主義派による秘儀的解釈から研究され受け継がれていったものである。魔術カバラは19世紀に特に重視されるようになり、近代西洋魔術の中で重要な位置を占めた。近代西洋魔術では生命の樹の象徴図表が教義の根幹に据えられている事が多い。

 

思想

カバラでは世界の創造を神「アイン・ソフ(エイン・ソフ、エン・ソフとも)」からの聖性の10段階にわたる流出の過程と考え、その聖性の最終的な形がこの物質世界であると解釈をする。この過程は10個の「球」(セフィラ)と22本の「小径」(パス)から構成される生命の樹(セフィロト)と呼ばれる象徴図で示され、その部分部分に神の属性が反映されている。

 

したがってカバラ一神教でありながら多神教や汎神論に近い世界観を持つ。

 

別の解釈ではこの世界を一冊の書物とみなす。すべてが書き込まれているこの書を解読することはこの世界のすべてを理解することである。そしてその書はヘブライ文字の22文字で書かれており、それぞれの文字が宇宙の原理となる要素を象徴しているという。それゆえ、そのヘブライ文字のアルファベットを解読することが重要な鍵となる。

 

また、聖書無謬主義から一見矛盾している『旧約聖書』の記述を神秘主義的解釈を用いて影響を受け読み解く(というよりは書かれたトーラーを補完する口伝のトーラーによる解釈である)。一例として『創世記』冒頭の天地創造には人間創造の場面が2回出てくる。文献学的にはこれは別系統の神話を一つの書物に統合した為に生じた矛盾と考えられているが、カバラでは実際に人間創造が2回(またはそれ以上)行われたと解釈する。

 

ユダヤ教では一般的な宗教に見られる「死後の世界」というものは存在しない。カバラでは、魂は個体の記憶の集合体であり、唯一神は全ての生命に内在し、唯一神は永遠の魂(命の木)である。個体が善悪を分かち、各々の記憶は神へ還っていく。神はただ記憶を収集し、善悪を分かたない。神では、善の記憶が再創造の素材になり、悪の記憶が無くなる。

 

カバラでは次のような寓話がある。

 

「毎年贖罪の日では全ての生命は死んで、生き返り、悪も無くなる。あるいは、毎年角笛吹きの祭から贖罪の日までの間に全ての生命は死んで、記憶が神へ還った。贖罪の日から光の祭りまでの間に神は再創造し、善の記憶が全ての生命へ還った。死亡はただ贖罪の日と同じである。」

 

数秘学

また、『聖書』を神秘主義的に解釈する際、ゲマトリアやノタリコン、テムラーと呼ばれる一種の暗号解読法を用いる場合がある。これらが後に世俗化し「数秘学」、「数秘術」と呼ばれる運命解読の方法となった。

 

 

カバラについて調べた。

数秘術としての占いの側面というよりも、元々はユダヤ教創造論、終末論、神秘主義思想らしいね。

聖書を補完する位置づけらしい。

 

天使

天使

Wikipediaより引用

 

天使(てんし、(英語:angel、英語発音: [éɪndʒəl](エィンジェル)))は、ユダヤ教キリスト教イスラム教 の聖典や伝承に登場する神の使いである。

 

英語の angel はギリシア語のアンゲロス(αγγελος;angelos)に由来し、その原義は「伝令」「使いの者」である。古代ギリシア・ローマ世界では、アンゲロスは生身の人間としての伝令を表す言葉であると同時に、神々と人間の中間の霊的存在としての伝令を指す言葉でもあり得た。古代の非キリスト教徒のネオプラトニストは、アンゲロスを神々やダイモーンのような超自然的存在として扱った。また、「密使」を意味するペルシア語の「アンガロス」や「神の霊」の意であるサンスクリットの「アンギラス」も、ギリシア語のアンゲロスとともに語源に挙げられることがある。

 

熾天使(してんし)は、天使の位階のひとつ。ヘブライ語で単数形は שְׂרָפ Śĕrāp_ セラフ、複数形はשְׂרָפִים Śĕrāp_îm セラフィム(セラーフィーム)となる。ギリシア語ではΣεράφ, Σεραφείμ/Σεραφίμ、ラテン語では Seraph, Seraphim と呼ばれており、ヘブライ語の音写がそのまま使われている。「熾」は「火が盛んに燃える」の意で、神への愛と情熱で体が燃えていることを表す。

 

智天使(ちてんし、ヘブライ語ケルブ(ケルーブ) כְּרוּב kĕrûḇ、複数形ケルビム (ケルービーム) כְּרוּבִים kĕrûḇîm、 ギリシア語: χερούβ、複数形 Χερουβείμ, χερουβίμ、ラテン語 cherub, 複数形 cherubin, cherubim)は、天使の一種。偽ディオニシウス・アレオパギタに由来する「天使の階級」では第二位に位置づけられる。

旧約聖書の創世記3章によると、主なる神はアダムとエバを追放した後、罪のある状態のままで永遠の命を得てしまわないように命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたという。また、契約の箱の上にはこの天使を模した金細工が乗せられている。神の姿を見ることができる(=智:ソフィア)ことから「智天使」という訳語をあてられた。

 

座天使(ざてんし、ソロネ(Throne)、スローンズ (Thrones)、またはオファニム (Ofanim)、ガルガリン (Galgalim))は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第三位に数えられる上級天使の総称。日本正教会ではギリシャ語から宝座と訳されている。

名は「玉座」や「車輪」の意で、唯一神たる主の戦車を運ぶ者とされる。また、「意思の支配者(Lords of Will)」の異名も持つ。

物質の体をもつ天使としては最上級にあたり、主に燃え盛る車輪の姿で描かれる。

座天使の指揮官は、ザフキエルまたはラファエルとされる。

 

主天使(しゅてんし、ドミニオンズ(Dominions) またはキュリオテテス(Κυριοτητες))は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第四位に数えられる天使の総称。

名は「統治」「支配」の意。

神の威光を知らしめるため、様々な働きを担うとされる。また、そのシンボルは笏である。

ザドキエル(Zadkiel)やハシュマル(Hashmal)に率いられているとされる。

 

力天使(りきてんし、ヴァーチュース (Virtues)、または、デュナメイス、デュナミス (Dynamis))は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第五位に数えられる天使の総称。

名は「高潔」、「美徳」を意味する。

実現象としての奇跡を司り、それをもって英雄に勇気を授けるとされる。

キリストが天に召される時に、付き添ったのも力天使たちであるという。 また、カインの誕生の際に産婆の役目も務めたとされる。

 

能天使(のうてんし、希: Εξουσιαι; Exousiai; エクスシーアイ、単数形でΕξουσία; Exousia; エクスシーア)は、神学に基づく天使の階級において、第6位の天使達の総称。羅: Potestates; ポテスターテース、単数形でPotestas; ポテスタース。英: Powers; パワーズ、単数形でPower; パワー。

 

権天使(けんてんし、ごんてんし、希: Αρχη、Αρχαι; Arkhē、Arkhai、アルヒャイ、単数形でアルケー)とは、天使九階級における七番目の階級。英語ではPrincipality(プリンシパリティ)、通常は複数形でPrincipalities(プリンシパリティーズ)。ヨハネによる福音書の冒頭に出てくる「はじめに言があった」の「はじめ」にあたる言葉である。

 

大天使(だいてんし、ヘブライ語: המלאך、ギリシア語: αρχάγγελος、ラテン語: Archangelus、アラビア語: رئيس الملائكة、露: Архангел、英: Archangel)は、アブラハムの宗教(ユダヤ教キリスト教イスラム教)の神話に登場する「天使」の階級の一つ。ギリシア語で「使者の長」「卓越した使者」を意味し、以下に述べるように大きく分けて2通りの意味があるが、両者はしばしば混用される。英名はアークエンジェル

 

天使が気になって調べた。

メメント・モリ

メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
 
歴史
古代ローマでは「将軍が凱旋式のパレードを行なった際に使われた」と伝えられる。将軍の後ろに立つ使用人は「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担当していた。そこで、使用人は「メメント・モリ」と言うことによって、それを思い起こさせていた。
ただし、古代ではあまり広くは使われなかった。当時、「メメント・モリ」の趣旨は carpe diem(今を楽しめ)ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というアドバイスであった。ホラティウスの詩には「Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.」(今は飲むべきだ、今は気ままに大地を踏み鳴らすべきだ)とある。
この言葉は、その後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において「メメント・モリ」はほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では「メメント・モリ」は nunc est bibendum とは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘因となった。
京都学派の哲学者として知られる田辺元は、最晩年に「死の哲学(死の弁証法)」と呼ばれる哲学を構想した。その哲学の概略を示すために発表された論文が「メメント モリ」と題されている。田辺はこの論文の中で現代を「死の時代」と規定した。近代人が生きることの快楽と喜びを無反省に追求し続けた結果、生を豊かにするはずの科学技術が却って人間の生を脅かすという自己矛盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだというのである。田辺はこの窮状を打破するために、メメント・モリの戒告(「死を忘れるな」)に立ち返るべきだと主張する。
 
時計
時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(光陰矢のごとし)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨が彫られ、ホラティウスの詩の一文で飾られた、大きな腕時計を持っていた。」
 
昔、知った言葉。
いつか必ず死ぬことを忘れないことで、今の生に対して、意味や価値を見出す、尊ぶ言葉。
 
※早期ラテン語は前7世紀頃~前240年、古ラテン語は前240年~前75年頃、そこから、後期ラテン語、民衆ラテン語俗ラテン語)、教会ラテン語、中世ラテン語ルネサンスラテン語、新ラテン語、現代ラテン語と移っていくらしい。
 
紀元前からある言葉なのかな。
 

無量大数

無量大数
Wikipediaより抜粋
無量大数(むりょうたいすう)は、漢字文化圏(漢字圏)における数の単位の一つ。漢字文化圏において名前がついている最大のものである。無量大数がいくつを示すかは時代や地域により異なり、また、現在でも人により解釈が分かれる。一般的には10の68乗を指すが、10の88乗とする人もいる。

無量大数は、元の朱世傑による『算学啓蒙』(1299年)において極以上の他の単位とともに初めて登場した無量数に由来する。無量数は仏教用語からとられたものである。当時はすでに中数が使用されており、無量数は不可思議(10の120乗)の万万倍で10の128乗となる。

日本では、『塵劫記』の寛永8年(1631年)の版で無量大数として初めて登場する。この版では、載までを万進、極以上を万万進としたため、無量大数は不可思議(10の80乗)の万万倍で10の88乗となる。寛永11年版で万進に統一され、無量大数は不可思議(10の64乗)の万倍の10の68乗となった。ただし、今日でも寛永8年版を根拠に無量大数を10の88乗とする人もいる。

塵劫記』では、版を重ねるごとに「無量」と「大数」の間にできた傷の間隔が広がり、後の版では「無量」と「大数」という別の数とされるようになった。この場合は、「無量」が10の68乗、「大数」が10の72乗ということになる。現在において、「無量」と「大数」が別の数として紹介されることもあるが、「無量大数」で一つの数とする方が一般的である。

漢字文化圏で定着している命数法では、無量大数(無量数)が最大の数詞であるが、無量大数よりも大きい数にも独自の名前がつけられているものもある。

銀河系に含まれる原子の総数がおおよそ無量大数に近いと考えられている。

使用例
17×17の格子状の道について、同じところを2度通らない道順の数
63無量大数4481不可思議4611那由他2379阿僧祇6397恒河沙1310極2975載4079正5524澗4004溝4944穣3986𥝱8664垓8069京3646兆3693億8785万5336通り」

昔、数字の絵本を読んで、知った言葉。
途方もなく大きい数という認識はあったが、調べてみると、やはりすごい。
13世紀の中国の書物にすでにその由来があると。
無量大数自体が、仏教用語からとられていると。
銀河系に含まれる原子の総数というのは、なぜ分かるのかと思ったけど、水素原子の数と質量、銀河系の恒星の数などから計算するらしい。
何だか、途方もない深い世界に繋がっていき、面白いね。

 

 

 

アルデバラン

気になった星
アルデバラン

Wikipediaより抜粋
アルデバラン(Aldebaran)、またはおうし座α(アルファ)星は、おうし座で最も明るい恒星で全天21の1等星の1つ。冬のダイヤモンドを形成する恒星の1つでもある。

アルデバランは、スペクトル型K5III型に属する。これは、橙色に輝く巨大な恒星である事を示しており、すでに主系列星の段階を終えている。ヘルツシュプルング・ラッセル図HR図)上でも、主系列の範囲から外れている。アルデバランが橙色をしているのは、核融合の燃料となる水素を使い果たして主系列星から赤色巨星に移行しているからであり、現在はヘリウムを核融合させている段階である。そのヘリウムが凝縮される事によって、外側の水素が外側に膨張しており、現在、アルデバランは太陽半径の44.2倍まで膨張している。これは約6,100万kmに相当する。

ヒッパルコス衛星によって測定された年周視差の値に基づくと、アルデバランまでの距離は約65.3光年(約20パーセク)となる。質量は、太陽質量の約50 %の誤差がある。光度は太陽光度の518倍にもなる変光星であり、肉眼で変光を確認するのは難しい。しかし、光電測光を用いなくても写真観測で僅かに変光するのが分かる。LB型の脈動変光星であり、0.75等から0.95等までわずかに明るさを変える。赤外線で観測したJバンドでの視等級は-2.1等で、これはベテルギウス(-2.9等)、かじき座R星(-2.6等)、アークトゥルス(-2.2等)に次いで明るい。

学名はα Tauri(略称はαTau)。これは、「おうし座α星」という意味で、バイエル符号に基づく命名である。アルデバランという名前は、アラビア語のアッ・ダバラーン(الدبران ; ad-dabarān、ad は定冠詞 al の連接形)に由来する。これは、「後に続くもの」という意味であり、アルデバランが東の地平線から昇ってくるときに、プレアデス星団の後に続いて昇ってくることからの命名である。

占星術では、アルデバランは富と幸福の前兆となる幸運の星だと考えられてきた。ペルシア人にとっては、紀元前3000年頃から、アンタレス、フォーマルハウト、レグルスと並んで、ロイヤル・スター(王家の星)の1つだった。

ということらしい。

今まで、宇宙に興味はあったが、詳しく調べたことはあまり無かったので、いろいろ見てみると、なかなか面白い。
こういう世界が宇宙に広がっていると、とても面白いね。